今日は8月15日でです。1945年に日本がポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦が終結した「終戦の日」
毎年この日になると、私が思い出すのは高校生の時。。「日本史」の授業の「ある日」のことです。
「ポツダム宣言」について先生が強弁しているときに、授業の流れの中で私が「終戦日ではなく敗戦の日ですよね」と言いましたら。。
その途端😱先生は血相(けっそう)を変えて、、「敗戦の日とは言うな!」生徒の一人私をクラス皆んなの前で「怒鳴りまくり🗯️」その日の日本史の授業が終りました😰
第二次世界大戦の時、私の父も私の夫のお父さまも東北大学の学生でした。二人とも「宮城の人」です。
私の父は農学部、主人のお父さまは工学部。
戦争当時、いつ「赤紙」というものが来てもいい年齢です。
赤紙(あかがみ)とは、第二次世界大戦中に日本軍が兵士を集めるために発出した「臨時召集令状」などの通称です。
幸いにも、私の父も主人のおさまにも「赤紙」は来ませんでした。
でも、多くの同級生が「赤紙」によって「戦死」したことを父にも主人のお父様にも私は聞きました。
主人のお父さまは今の東北大学工学部で「飛行場の設計」を学んでいた人です。
「横田基地は俺が作った基地だ」と嫁に行っ私に晩酌で夜に酔っ払うとよく自慢しておりました笑
私の父は戦争当時、東北大農学部でしたが、何をしていたのでしょうか。ヤバい実験でしょうか💦
父に戦争当時の話を聞いてもほとんど話をしてくれませんでした。
ただ、お義父さんと父の共通点は「戦争は二度と起こしてはいけないもの」ということを教えられました。
私の数少ない女親友の中に東北大出身の英文科のお父様がいらっしゃいました。
そのお父様は仙台出現の方で私の父や主人のお父様とは同年代です。
今は仙台の有名な「新寺(しんてら)のお墓で」で眠っております。
親友のお父様は通訳のため?ガダルカナル島に戦時中に行きました。
日本の兵隊さんほとんどが戦死者なさった「ガナ島」です。
でも、この親友のお父様は奇跡的に生き残り日本に帰ってきた人です。
私の父も、主人のお父様も戦争に徴収されませんでした。
私は「ガナ島の親友のお父様」から激戦地戦線の悲惨さを学びました。自費出版した書物も私の手元にはあります。
今年は戦後81年。
今でも世の中では戦争している国があります。
時代が変われど何も変わっていないのが今の世の中です。
聞いている?トランプさん、プーチンさん。
今日は私の小さな彼氏2人が「バァバの私」にママとパパと共に突然会いに来ることになりました。
彼氏が住んでいる場所は私の自宅から車で約30分程度のところです。
それでも、、1年365日休みのない私は、なかなか会うことができません。
この前最後に会ったのは💦正月の時です。8ヶ月ぶりでしょうか。
今日は突然に娘から「お母さんに会いに行く」と言う連絡が来ました。
私の娘は「宮城県北の人、長男さん」と結婚しました。
今年のお盆も東北の嫁も勤め上げ帰り道にお母さんに会いたいと。。
今日は午後から2時間ぐらい自宅で受付業務を私はしました。
孫の昼ご飯のためにピザをデリバリーで取りました。
写真は途中、娘が買ってきたスーパーのフルーツ盛り合わせの一部です。
メロンもシャインマスカットもありましたけど、写真にはありません🤪
彼氏からの優しさの写真であります笑
ではでは、おやすみなさいませ。