写真は結婚式場の教会ではありません笑⛪️
山形の河北町谷地にある本格的なフランス料理屋さんです🍽️
いや〜 何年ぶりだろう🙄
ナイフとフォーク🍴と🥄が、、、ずら〜と並んで。。。
椅子🪑に座れば、目の前にナプキンが置いてある👀
本当に本格的レストランは久しぶりで。。。
一瞬「主婦の香店長」ではない「昔の私」に戻りました🤪
私は多分ね、もう3歳位から、両親にはフランス料理を食べるときのマナーを叩き込まれました😆
ナプキンの使い方、ナプキンの置き方
ナプキンもね、結構めんどくさくてさぁ
いつに?膝の上に置くとか。。。
席を途中で立ったときにどこに置くとか。。。
最後は、テーブルの上にどのように畳んで置くとか。。。
ナイフやフォークの使う順番も。。。
※これは簡単だよね。外側から使っていけばいいんだから。
スープをいただく時は、お皿を傾けて飲んではいけないとか。。。
もちろん、音を立てて、ナイフやフォークを使ってはいけない😅
私が子供の頃住んでいる地元には、鵠沼海岸海辺に芸能人さんが経営している小さなフランス料理屋さんがありました🍽️
まぁそこだとね。父はマナーにそんなに厳しくなかったんですけども。。
東京のシティーホテルのフランス料理レストラン、なんかに行きますと。。。
椅子に背中をつけずに、背筋を伸ばしてマナーよくお料理を食べなければならない。
お出かけ用の白い大きな襟のワンピースを着て👗
お帽子かぶって👒
革靴履いて🥿
子供用の小さなバックを持つ👜
まだ時計なんかわからないのに😅革バンドの子供用の腕時計をする⌚️
まずまず、まず🤣
母よりも、父の方が「生活のステータス」が非常に高かったと思います。
母は、江戸時代からの歴史ある商売屋の家で育った人であります。
父は、宮城の庄屋の息子で育った人であります。
父が生きていれば、今年で100歳です。
終戦の頃、父は20歳だったけど。。。
なんかね、東北大学に学生で在籍していて、「何かの研究生」だったから、戦争には連れて行かれなかったそうです。
父は93歳で亡くなりましたけど。。
私が中学生、高校生の頃の時に戦争について聞いてもね、、言葉を濁して、何も教えてくれませんでした。
父の一番優秀なお兄さんが、特攻隊🛫で亡くなったとか、、
別なお兄さんは戦艦🚢に乗っていて船は沈められたけど、生きて帰ってきたとか、、
父の兄弟の話はしてくれましたけど
父が戦争の時に大学で何をしていたのか、決して最後まで教えてくれませんでした。。。
まぁ、父の仕事は化学者🔬でしたから🧑🔬
亡くなる直前まで口を割らなかった父は「国の命令」で細菌兵器でも作っていたんじゃないか?って私は想像しております😱
父は大学を卒業して、東京に出て、農林水産省に就職したようでありますけど。。。
レッドパージに会って、アメリカのマッカーサーに就職先を「クビ」にされたことを死ぬ時まで自慢してました笑笑
こんな昔に生まれた父が😄とりあえずは長年首都圏で働き、、、
そこで付き合いのあった「エリートさんのお友達」の影響で、結構ハイレベルな生き方を学んだようです。。。
父の友人には、お医者様や弁護士様や政治家の方が多かったです。。。
そんなの知らぬ存ぜぬで、スーパーゼネコンで働いていたのが母であります✋
清水、竹中、鹿島。。。
私が子供の頃、母の会社の方に母と一緒によく銀座で食事に連れて行ってもらいました。
私は子供だったのでよくわかりませんけども、、、
何か「大きな仕事が成功する」と「銀座」が食事の場所だったようです。。
そうやって考えるとね🥳
私は最終的に仙台の学校出て、仙台地元の小さな会社で働きました。
仙台には、お高級な銀座の料亭もありませんし💦
帝国ホテルのフランス料理もありません💦
だけどね。。。子供の頃に緊張しながらも、両親に連れて行かれたレストランや料亭には感謝しております。
ちょうどバブルの時代、私が大人になって就職して、上司に仙台の高級料亭に連れて行かれても、、
ちょっとだけ付き合ったお医者様の息子さんとデートしたときのフランス料理も🍽️
マナーバッチリで恥ずかしくなく食事ができました👍
それは父と母のおかげであります。
そして、ここ今でもまだある私の疑問🤔なんですけど。。。
ちょっとだけ付き合いした大崎古川のお医者様の息子さんはお金持ちでありました。。
私は「超」が着くボンビー学生でありました。
今は無いけど、、立町と言うところに
「もんこぱん あづまや」と言う仙台老舗の本格的なフランス料理屋がありました。
場所的に言えば、プリウスさん🏩の真裏です!😆
ボンビー学生の時に、お医者様のご子息とプリウスさんの裏でフランス🇫🇷料理メシ食って、、
お会計の時に、私は「自分で食べたものは自分でお金を払う」と申し出て、、
それを譲りませんでした✋
だって。。。
フレンチには、3種類位のコース料理の種類があって、、、
ご子息様は一番お安いAコース。
私は1番お高いCコース。
🤪ご子息様にお支払いいただくなら、私は遠慮してAコースを選びましたけども、、、
わたくしは、、食べたいものなら、お金は厭(いと)わない。
他人(ひと)のお金で「ゴッチ」で美味しいものを食べたって、ちっとも美味しくない!
私は、そのような可愛くないおなごで生きてきました。
これは子供の頃から見てきた👀父や母や祖母の「お金の支払いに対する場面」でしょうかね。。
私が結婚して嫁いだとき、主人のお母さんであるお姑さんは「人様にお金を出させること」が得意な人でした😝
私はびっくりしました。
そして、心の中でお義母さんに名前をつけました😁
タカリやの「タカお母さん」。。。
タカお母さんの究極の話があるんですよ。
私の娘がね、高校生の時、夏休みに主人の実家「おばあちゃん家」に仲の良い女友達とお泊まりで遊びに行ったのです。
「外でご飯を食べよう」と言う時に「娘と娘の友達とおばあちゃん」は回転寿司に行ったそうです🍣
今でも私の娘は時々言います笑笑🤣
回転寿司の会計の時、、、
「あら、おばあちゃんお財布忘れてきた」
高校生の自分の孫に、「昼ご飯代」をお義母さんは孫に払わせました😱
家に帰っても、おばあちゃんはお金をくれなかったそうです💦
高校生の娘は、「おばあちゃんに遠慮」して
回転寿司では、イカ🦑やタコ🐙だの安いものを食べていたそうです。
ばあちゃんは「赤貝やら中トロやら」。。
マンボー🐟も食べていたそうで。。。笑
他人(ひと)のお金で「ゴッチでーす!」を私がやったのは、バブル時代の「上司」だけであります🤗
バブル🫧あれって何だったんだろう?
就職したばかりの姉ちゃん「わたくし」も、、、
まだまだ仕事ができないのに、高いお給料とボーナスをもらってました。。
昨日は久しぶりに「彩乃奥様」かリクエストで出勤してくださいました。
彩乃奥様は以前から、、リピーター様の予約が入ると、お客様に「それ相当のお土産」を買ってお客様の元へ伺っていました🎁
お客様も奥様が喜ぶようなお土産を準備して来てくださるような方です。
その「彩乃奥様」は今朝にブログを書いてくださり、、、
店長わたくしのことも「話題」に乗せてくださいました。
店長、私の権限でここに「貼り付け」させていただきます。
彩乃奥様ブログより
昨日は久々に店長の声を聞いて、またパワー充電と💞店長と話しをしていると、強さを感じます❢
自分の家族、関わるキャストさん、お客様、お店の事、でも、自分自身を大切にして欲しいなぁって昨日改めて思いました✨️たまにしか出勤できなくなったのに、いつも優しい言葉をかけて頂き本当に主婦の香に、入店して良かったなぁと、ほかだったら、こんな事無いよね〜?
許可を得ずに彩乃奥様のブログをコピーして貼り付けました🤣
最近はね、こんな強靭な私も折れそうになるんですよ。。
先日は折れそうになって山形までトンズラ🚙💨しましたけど。。。
こんな風に、、出来損ないのテンチョー私を思ってくださっている奥様がいると思うと。。
私はお客様のためではなく、私についてきてくださる奥様のために頑張れるのだと
今日は改めて「基本に戻ること」ができました。
彩乃奥様ありがと💕
今は、ご家族や、いろんなことでなかなか出勤できないと思いますけども
貴女の「現実味のあるブログ」に私は勇気づけられ頑張ることができております。
もうね。。。
この業界の店長をやっていますといろいろなことがあり放り出したくなる日々でありますけど、、、
明日からも彩乃奥様に負けないで✌️私も頑張りたいと思います。
先ほどね姫子奥様にも嬉しいメールをいただきました📩
「店長がゆっくりと過ごせる時間があってよかったです」
私がトンズラ🚙💨したことを喜んでくださったウチの奥様のお一人です。
皆んな皆んなウチの奥様たちは、優しい心の持ち主であります。
では、明日から始まる1週間精一杯に頑張りたいと思います。
こうやってね「喜び」を店長の私と一緒に共有できる人妻さんがいると言う店。
本当の優しさを持った奥様が主婦の香には在籍しております。
では💫
明日からも1週間ノンストップで走り抜けたいと思います。
今週も一生懸命に頑張ってくださった奥様たち
私の大切な奥様に変わらず優しく接してくださったお客様たち
ありがとうございました💞
おやすみなさい。
PS
本日お越しくださったお客様のお一人。
いつも、リズコートさんに入室なさるのに、お部屋が空いてなくて、別なホテルさんでご利用くださったお客様。
今日も私の家族のことで、色々と親身にお答えくださった貴方さま。
心より感謝しております。
貴方様の「スペシャリストのお話」で私は大きな不安も解消されました。
今日は貴方様のおかげでぐっすり寝れそうです。
いつも主婦の香を尋ねてきてくださることに感謝しております。
もう、、首都圏にあるご自宅にお着きになりましたでしょうか?
日本には「灯台下暗し」という言葉があります。
お身体を大切に、またいつの日にかお声を聞こえる日をお待ちしております。
本日は、私の家族について色々とお話し下さりありがとうございました。