オペ当日。私の順番は2番目。13:00予定でした。
順番まで同室の人たちとお話ししながらアクセサリー作りをしていました。
少し時間が押して13:30くらいに呼ばれてオペ室へ向かいます。ドラマのようにストレッチャーで運ばれるなんてありません。自分の足でオペ室へ向かうのです。手術台にはよいしょっと自分で上ります。
もうこの手術台に何度上がっただろう。看護婦さんから、アクセサリー上手だね、自分で作るのすごいね、なんて褒められていい気分になってお喋りしてました。手術台に寝転がってるのに緊張感ゼロです。
口元に麻酔科のDr.が笑気麻酔をあてて「気分がボーとしてきましたか?」と聞かれたので「いいえ」と答えて看護師さんとお喋りの続きです。
しかし肩をポンポンと叩かれ目を覚ますと「終りましたよ、お疲れ様でした」と声が聞こえました。頭がクラクラして目を開ける事ができません。
流石に帰りはストレッチャーでナース室の前の部屋に運ばれました。ベッドに移されてるとすごく寒いんです。寒い寒いと訴えると、知っていたかのように「電気毛布入ってるのでスイッチ入れますね」と言ってくれました。
けど、下だけの毛布では足りないくらい寒いんです。出来れば電気毛布で私をサンドして欲しい。酸素マスクに足にはマッサージ機みたいなのがウニウニ動いています。これ嫌いなんですよね💦
そして下腹部には激痛です。刺された事ないけど鋭利な物で刺されたような強い強い痛み。エビのように腰を丸めて「痛い。。。痛い。。。」と呟く事しか出来ません。とにかく痛い。
看護師さんがすぐに痛み止めの処置をしてくれましたが効かねーんだよお😭6時間経たないと次の痛み止めの処置が出来ないと絶望的な事を言われました。その頃時間が何時だったのか全く分かりません。「うっ。。痛い痛い」と私はエビのようになってます。
そして耐える事6時間。次の段階の痛み止めの処置をやっとしてくれましたがやはり効かない😭陣痛より辛い。更にそこから6時間。最終段階の痛み止めでやっと効いてきました。
けど今度は気持ち悪さで吐きます。麻酔から覚めた後は必ずこうなるんです私。水分補給の許可が出てペットボトルのお茶を飲んだらまた吐きました。
時間が深夜1時過ぎていたみたいです。気持ち悪さも痛みも少し落ち着いてやっと眠くなっていつの間にか寝てしまいました。4時間くらい眠ったようでした。そして容赦なく朝はきます。一晩痛みに耐えてやっと眠りだしたところに看護師さんがやってきます。
温かいタオルを持って身体に全く力が入らない私の身体をゴロゴロゴロゴロ転がしながら拭いてくれます。着替えまでしてくれますが着替えが終わった途端に恐怖のあの時考が。。、
「はい、ちょっと歩きましょう」
ほとんど寝てないのに?しかも痛み止めの点滴が今にもなくなりそうなんです。胸が大きく動く苦しそうな呼吸をしているのが自分で分かります。苦しそうじゃなくて苦しいんですけどね。
廊下を一往復してベッドに戻るとまた嘔吐。痛み止めの点滴を替えてもらってやっとベッドの上で休む事が出来てそこから私は泥のように眠りにつきました。
朝食はもちろん食べられる状況ではありませんでしたがお昼はもの凄い眠気でとても食べられませんでした。
一番痛くて辛い時間がやっと過ぎて私の入院も後半に入るのでした。
後半に続く。
藤井りか
お母さんが5日振りに帰ってきたにゃ。5日間も留守にするとは随分といいご身分ですにゃあ。
シッターのお兄ちゃんに連れて帰ってもらおうと思ったじゃにゃいか。
勝手に感動の再会にゃんて言ってるにゃもふはめっちゃ怒ってるの分からにゃいか?ちゅーる2、3本じゃ機嫌直してやらにゃいからにゃ?
しかも何にゃ。腰曲げて歩いてすっかりおばあちゃんみたくなってるにゃ。もふはお医者さんに「若く見えますね」と言われた事あるくらいの美貌の持ち主にゃ。
仕方ないから今夜は一緒に寝て、もふの美貌を分けてやるにゃ。感謝するにゃよ?もう5日も留守にしたら許さにゃいからにゃ。
分かったらとっとともふの部屋お掃除してちゅーるよこすにゃ。うちのお母さんにはまだまだ手がかかるにゃね。これからももふがどんどん指導していかにゃいとダメにゃね。
もふ娘
本日自宅に帰って参りました。魔法のお薬で傷口の回復が早い早い。
けど中身がまだまだ痛いです。もふと感動の再会もすませたし、しばらくはゆっくり休もうと思います。
12月1日には出勤出来るよう頑張ります。
手の甲から点滴された。。。私可哀想アピールの写真なので、ちゃんと痛々しくて可哀想って思って下さいね笑
藤井りか
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