※今夜の日記は自分語りの内容になります。
※私が経験した事ですが記憶にないので親から聞いた話しになります。
私は先天性のとある病気を持って生まれてきました。身体がまだ小さすぎたため少し成長を待ってオペをしようとの事だったらしいです。
1歳の時の元旦。私は突然発作を起こして倒れてしまいます。びっくりした母親は私を産んた産婦人科に私を抱えて飛び込んだそうです。
産婦人科専門のDr.では手の施しようがないと、友達の小児科のDr.を呼んでくれました。すんませんね、ホント元旦の朝っぱら。
小児科のDr.もこれはもう。。。と救急車を呼んでくれたそうです。救急車もうちょっと早く呼んでも良かったかもね。うん。
先天性の病気に肺炎を併発して危険な状態に陥っていました。
「救急車の中でもう(永遠に)眠ってしまうでしょう」と言われたそうです。しかし病院に着いてもかろうじて息がありました。けれど、明日の朝を迎える事は出来ないかと思います。覚悟をして下さい。そして今のうちに会わせたい方がいれば会わせて下さい。と言われた1歳の私。
親戚が集まり始まってその時を待つかのようにみんな泣いてます。だけどね朝に近づくに連れて、なんか顔色良くなってね?しかも呼吸も落ち着いてね?となりまして目を覚ましたそうです。
そこから長い入院を経てやっと手術の時が決まりました。明後日にはいよいよ手術となった日に、なんと私は、はしかにかかっちまったんですよ。私の今の状態ではしかはキツイ。命取りです。
そこで担当Dr.が「私が全ての責任をもつ」とガンマグロブリンを打つ事になりました。しかも2回。それが光を成してか湿疹はポツポツ程度で済んだようでした。
その時、同じ病室にいた小学生の女の子が息を引き取ってしまったと母から聞きました。病院の地下から女の子を抱いた両親を見送ったそうです。
別な部屋にいた私といつも遊んでくれて可愛がってくれていた大学生のお兄ちゃんがいたようで、私の手術の次の日がお兄ちゃんの手術だったようです。
その病院では火曜日に手術した人は助からないなんてジンクスがあったみたいでしたが病院で変なジンクス作るなよと思いますね。はい。私の手術は火曜日でした。
私は私の心臓を止めるために仮死状態にする必要があり体温を10℃まで下げなくてはならず当時はダイレクトに氷漬けにされたようでした。写真撮っといて欲しかったなー。入れ物が発泡スチロールだったら私は魚ですよ。アメ横行きです。
自分の心臓を止め、オペ開始です。標準の年齢よりも身体が小さかったため身体の半分以上にメスを入れたみたいです。
無事にオペも終わり集中治療室に運ばれますが術後の回復が順調すぎてオペの翌日には集中治療室を出る事が出来ました。自身体は強いのかもしれません。
私の翌日に手術をした大学生のお兄ちゃんも手術後は集中治療室行きです。そこで私の姿を探してくれたとの事でしたが私の姿はどこにも見当たらずお兄ちゃんはたいそう悲しんでくれたようでした。集中治療室から一般病棟に移ってましたからね。
そうか。。。ダメだったのか。。。やっぱり火曜日のオペのジンクスは本当だったと涙まで流してくれたと聞きました。
病室が別なのでお兄ちゃんがやっと歩けるようになった時に廊下を私が横切った姿が見えたそうなんです。
幻かな?
幻ではありません。順調に回復して生きてます。とりあえずの山場を超えた頃。私は2回目の肺炎にかかったそうです。そして生きてます。身体が強いんだか弱いんだか分かりませんね、もう。
私が35歳の時にオペをしてくれた担当Dr.に会い行こうと話しがでましたがそのDr.の行方を知る事が出来ませんでした。
母親は地下室から見送った女の子とその両親の姿が今でも鮮明に記憶にあると時々話します。
藤井りか
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