最近ネットニュースで
気になった記事があったので抜粋🔍
少し長いので興味のある方のみどうぞ💫
幼少期からファッションに興味を持ち、ファッションデザイナーとしてメーカーに勤務していたTAEKOさんという女性のお話👠
産後に育児ノイローゼに…。
外出はスーパーや公園のみという生活が約10年続き、そのときは目立ちたくない理由から灰色の服ばかり着ていたといいます。
「40歳のときに人生を変える転機が来たんです!」
それは「鏡ごしに見た自分の姿がお婆さんだった」ということからでした。
そこから「今変わらなければ一生後悔する」と灰色の服を全部捨て、明るい色の服を購入し、ヘアメイクも研究し、現在のTAEKOさんへと近づいていったのです。
その後、TAEKOさんは全身ピンクコーデをするようになります。きっかけは、何気なく見ていたテレビから流れてきた戦争の映像。
「灰色の空、灰色の崖…なにひとつきれいな色がない。
もし、銃器がピンク色だったら人に向ける気はおきるだろうか…
もし、戦車がピンク色だったら戦場に行くだろうか…
もし、迷彩服がピンクだったら戦えるのだろうか?」
そんな思いが浮かび、全身ピンクコーデで争いのない世界を目指す表現をするようになったといいます。
過去は地味主婦だったTAEKOさんがファッションで人生を変え、思考もポジティブに変わったことからメディアでも取り上げられるようになり、新聞記者のインタビューで「アラ還ファッショニスタ」という名前をつけてもらったといいます。
私もまもなく人生折り返し地点🌏
バッチリ決めた
グレイヘアなんか素敵だなぁ👵✨
そんなマダムとは程遠いですけどね、
できるだけ小綺麗にしたいものです💄
最近ネットニュースで
気になった記事があったので抜粋🔍
少し長いので興味のある方のみどうぞ💫
幼少期からファッションに興味を持ち、ファッションデザイナーとしてメーカーに勤務していたTAEKOさんという女性のお話👠
産後に育児ノイローゼに…。
外出はスーパーや公園のみという生活が約10年続き、そのときは目立ちたくない理由から灰色の服ばかり着ていたといいます。
「40歳のときに人生を変える転機が来たんです!」
それは「鏡ごしに見た自分の姿がお婆さんだった」ということからでした。
そこから「今変わらなければ一生後悔する」と灰色の服を全部捨て、明るい色の服を購入し、ヘアメイクも研究し、現在のTAEKOさんへと近づいていったのです。
その後、TAEKOさんは全身ピンクコーデをするようになります。きっかけは、何気なく見ていたテレビから流れてきた戦争の映像。
「灰色の空、灰色の崖…なにひとつきれいな色がない。
もし、銃器がピンク色だったら人に向ける気はおきるだろうか…
もし、戦車がピンク色だったら戦場に行くだろうか…
もし、迷彩服がピンクだったら戦えるのだろうか?」
そんな思いが浮かび、全身ピンクコーデで争いのない世界を目指す表現をするようになったといいます。
過去は地味主婦だったTAEKOさんがファッションで人生を変え、思考もポジティブに変わったことからメディアでも取り上げられるようになり、新聞記者のインタビューで「アラ還ファッショニスタ」という名前をつけてもらったといいます。
私もまもなく人生折り返し地点🌏
バッチリ決めた
グレイヘアなんか素敵だなぁ👵✨
そんなマダムとは程遠いですけどね、
できるだけ小綺麗にしたいものです💄