宮城県/デリヘル
■主婦の香

『主婦の香』のブログ

地震と共に原発が怖いな。

[2024.03.12(火)14:33:47]

昨日は13年が経ち、とうとう3.11のことを書いてしまった。


あの日、あの時、私は山形県天童市にいた。

夕方4時から天童のガストで面接の為に早めに天童市にいました。


山形まで出張面接に足を運んでいた頃、主婦の香がまだ無我夢中の頃。

予定より早い午後2時前にに天童に着いてしまい、、

「風呂」など入る場合じゃない日々の「仕事人間の生活」の主婦の香店長の時代。。。

天童は温泉町だよ!と情報は得ていた。


私は魔がさして、とある温泉旅館の日帰り入浴の脱衣所にいた時に、、あの揺れを体験しました。

大浴場の湯は地震の揺れで大きく波を打ち、音を立ててこぼていました。


ただごとじゃない!



まず、、受付業務を任せて来たスタッフと、ドライバーを兼ねた男性スタッフに電話した。

受付業務を中止して、待機中のキャストさんを家に帰すように。

奥様郊外送迎中の男性スタッフは、奥様をホテル部屋まで迎えに行き戻るように。

当時はガラケー携帯。

電話は繋がりにくかったけど、、、

私も含めて、たまたまスタッフ全員がドコモだったためか?少々時間はかかったけど繋がった。


そして、仙台街中で会社勤めしていた娘に電話した。

早退して、自宅に戻るようにと。


自宅が危険な状態なら、、、

今日は駐車場に置いて来た私の車の中で待機するように。

出来たら、お付き合いしている彼氏を呼ぶように。



あの頃、私は県外に出張面接の場合は排気量ある自分の車で行くのが決まり。

高速も飛ばせるし、運転していて疲れないから。



でも、あの日は店の小さめの車で山形に向かった。


なぜ?


それは、、、2日前にあった「地震の揺れ」に違和感をものすごく感じたから。

仙台で震度4ぐらいだったかな、、、


受付業務していて、ものすごく違和感ある「重さ」を感じる揺れだった。

ふだん起きてる地震とは「重みが違う」



3.11の出張の日の朝、娘が会社に出勤したあと

私は食器棚の取手を荷造りヒモでぐるぐるに巻き

冷蔵庫は、我が家にあった「松葉杖」をつっかい棒にして

ガスの元栓は大元を閉めて

リビングのテーブルには「1,000円札20枚」入った封筒と私の車の鍵。

そして、娘へのメモ📝


「お金と車、何かあったら使うように」と。。。


娘、会社で体験したあの揺れも怖かったけど

家に帰って、ぐるぐる巻きの食器棚と

冷蔵庫つっかい棒の松葉杖🩼と

二万分の千円札、母親の車の鍵を見た👀時が


娘は一番怖かったとか。。。


千円札20枚は自販機で「飲み物」を買うため、、、

コンビニに行った時、コンビニに釣り銭が無くなっても大丈夫なように

釣り銭ざら銭は捨ててでも、買って来い!と言う無言の千円札。


まぁ、、オチがある。


天童で風呂に入る前に、乗って行った店の車のガソリンは満タンにするべきだった。


天童も市内停電となり、ガスト天童店での面接は中止となり

急きょ仙台に戻るにも、ガソリン入れないと


私は関山の山中でガス欠となる。


並んだ、並んだ、、、

あの時、天童のガススタンドで手動でガソリン⛽️入れられるのは少数で

私は天童街中スタンドで3時間並び、、緊急のために入れられたガソリンは2,000円分。

「ガソリン満タン」は一万円払うと交渉しても却下された。。山形の人は真面目。


天童から仙台に戻る山中で「03」から始まる電話から多数の電話あり。。


東京の男友達から「安否確認」の奴らの会社からの電話。

携帯は夜になっても繋がりにくい。


地震直後に私の携帯電話にかかって来たのは

東京で働いている息子からの「公衆電話」だった。

携帯が繋がらず、、、

テレカ専用の公衆電話は、東京でもがら空きだったとか。後からの話。

携帯電話が普及していたから、テレカ専用の公衆電話は不要になりつつある時で「カード」無ければ使えない。

息子は「緊急」の時の為にお財布にテレカを入れていたと、それも後から聞いた話。


震災当日、天童市から仙台市町中我が家に戻れたのが夜9時近く。



次の日から「開いてるガススタンド」を探して、初めて見つけたガソリンスタンド⛽️が

遠見塚のホテルレパリオさん斜め向かいのエネオスさん。


新港方面には火災の煙が見えた。


そして、私の恐怖。

福島原発の「メルトダウン」の想像。。


私は、もうここまで生きて来たから命など惜しくない。

まだ未来ある娘を守ることを考えながら、

エネオスさんに2時間並びながら、、、


「放射線」から娘を守る算段を考える。


わたくしの卒論は「福島原発の危険性」


卒論が「現実」となった3.11。

高校生の時に、たまたま読んだ「原発ジプシー」と言う書物。



今はもう、その本は手元にありませが、、、

巨大地震が来たとき「原発の危険性」を思い浮かべた一般庶民があの時どれだけいたか。

東京にいた息子には名古屋よりもっと遠くに逃げて、と指示。

仙台にいた娘には北海道まで逃す算段。

まぁ、どっちも逃げませんでしたが、、


あれから13年経ちましたが、変わらず続けていること。

常にガソリンは満タンであること。

銀行🏧もカード💳も不能になるから、ある程度の現金を用意。


あの時のワンセグは正確な情報収集に役立った。

今、iPhoneにはワンセグ無いよね、、

日本中、今どこで巨大地震が発生してもおかしくない時代。

ワンセグの復活が必要だと感じる。

あと、個人的には「灯油ストーブ」が欲しい。

停電でも暖は取れるし、湯は沸かせれるし、簡単な調理もできる。


まずまず✋

耳にタコできるほど、私は関東大震災の話を祖母から聞かされた。

神奈川県平塚市の海から近く、横には相模川がある自宅で被災した祖母。

8人の弟妹を連れて高台へ逃げたと。

津波は黒くて坂を登って来ると。

でも、原発の話は聞いてないよ、、

あるワケ無い原子力発電、、大正時代


仙台は福島原発と女川原発に挟まれています。

何かあったら頭の片隅に置いて危機感を持たなくちゃ。

私には小さな彼氏、宝物が4人いる。。。

じゃ👋明日からは、また「愚痴ブログ」に戻る。


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