『藤井 りか』の写メ日記☆

そもそも誰?渋沢栄一さん。

[2024.08.11(日)21:35:17]

新紙幣の一万円札の顔。渋沢栄一さん。ちょっと長文で難しい話しになるかと思いますので途中眠くなった人はほっぺたつねって頑張って読んでください。

時は1840年。江戸時代。現在の埼玉県の豪農の家に生まれます。米、麦、野菜、他は相玉といって衣服などの藍染する時に使う物の製造や販売、蚕の繭から出来る生糸の養成産業、及び販売などに関わっていた方なんですね。

幅広い分野に手を出しては成功させ、お金持ちで頭も良かったんです。そんな渋沢さん尊王攘夷(そんのうじょうい)って思想に目覚めていくんです。簡単に言うと天皇を第一に考えて、天皇に歯向かう奴をやっつけようぜって思想です。

1863年には群馬県の高崎城を乗っ取って武器を奪い横浜の外国人を焼き討ちにしようぜって計画を企てます。時代背景があるとは言え、なかなかエグい思想です。その後も幕府を倒す計画なんかも企てますが周りから「流石にそれはヤバイって」と反対され「それもそっか」と断念します。

幕府からの追手から逃れる為に京都へ行き、兼ねてから交流のあった家臣(かしん)の勧めで15代将軍に仕えるようになります。そして翌年にはパリ万博の行員に抜擢されフランスへと渡航します。ヨーロッパ各国を追行した事で先進的な技術や産業を目の当たりにして日本は世界から大きく遅れている事を痛感します。

その一方で日本では徳川家から明治天皇へ政権を返上する大政奉還(たいせいほうかん)が起こっていました。これに伴って日本へ帰ってきた渋沢に徳川吉信から

「これからはお前の人生を生きなさい」と諭されますが渋沢は「いえ、あなたには恩があります」と現在の静岡にフランスで学んだ株式会社制度を実践したり、銀行的な業務を行う「商法会所」を設立します。明治に移って間もない頃に、静岡になんかすげー会社作った奴がおる!と明治政権にスカウトされます。

その後は国立銀行条例を制定したり、すごいのが長さや重さの体積の基準を定めた制度、度量衡定性(どりょうこうていせい)など新たな国づくりに大きく関わりました。

今はメートル法ってのが一般的ですが長さや重さの基準を定めたのが渋沢栄一の一番の特徴かもしれません。その後は民間事業の発展に進めたいと官僚を辞め第一国立銀行、現在のみずほ銀行の設立、指導を行いました。

これで終わらないのが渋沢栄一さんの凄いところで東京ガスの事業計画、火災保険の設立、保険業の創業、支援。東京ホールディングスの設立、帝国ホテルの設立、更に旧一万円札の福沢諭吉さんと協力して教育の発展にも貢献しました。まさかの一万円繋がりです。

まだまだ本当にまだまだ数え切れないくらいの事業に携わっており「誰?」なんて言ってる場合じゃなかったんですよ。人生何周したらこうなんの?ってくらいスゴい人だったんですね。

藤井りか



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