下山事件。三鷹事件。松川事件。 この3つを国鉄三大ミステリーと呼んでいます。犯人が捕まっていない(誤認逮捕のまま)事件です。
下山事件。1949年、6月。最初の事件が勃発します。事件の名前にもなった「下山さん」て方が初代総裁に選ばれます。かなりの鉄道マニアだったそうです。国鉄総裁に就任して約一ヶ月の7月。東京足立区と常磐東部線の交差する箇所で轢死となって下山さんが発見されます。
実はこの前日に出勤の送迎が来た際に日本橋の三越に用事があるから5分だけ待ってほしいと運転手に伝え三越の中へと入っていきますが、この時を境に失踪してしまうんです。
そして翌日に死亡となって発見。しかし現場には血痕がほぼ残っておらず他殺か自殺かは分からないまま事件は幕を閉じます。
実は下山さんは総裁に就任してすぐに国鉄の職員の10万人の解雇、組合には3万人の解雇の通達を出していました。これにより大掛かりな反感が起きます。
時を同じくして9日後の事。2つ目の事件が起きます。それが三鷹事件です。国鉄三鷹電車区にて7両編成の電車が暴走して脱線。商店街に突っ込み6名の死亡者を出してしまいます。
下山事件のすぐ後の脱線事故。裏がありそうですがあったんです。中国との共産党との内戦で中国の共産党が勝利が濃厚になっていたんですね。日本でも解雇をを巡るストライキ計画。
日本内部の共産党と中国共産党による政治的な動きが。。。あったんです。中国共産党と日本内部の共産党は目的は違えど「解雇の反発.勢力の拡大」については利害関係が一致していたんです。
警察は組織的な犯行である事を想定してたんです。結果、共同謀議の容疑で共産党の10人と非共産党員の元運転手一人を逮捕します。そうして事件は収まったかのように思いましたが、逮捕された元運転手は無罪を主張。しかし最高裁を行わず死刑判決を下します。
アリバイ証言がいくつもあったのに全て却下。判決は覆りませんでした。元運転手の男性は留置所で死亡。家族は再審を求めますがこれも却下。結局は共産党と組合に嵌めらてしまったような形になりました。
これで事件はやっと終息かと思いきや、下山事件から2ヶ月後我が福島で3つ目の事件が起きてしまいます。ソレが松川事件です。
松川事件については明日の日記に掲載いたします。大掛かりな解雇通達は日〇のカルロスゴ〇ン氏も行い問題になりましたよね。その後雲隠れしたけど。
明日の日記も目を通して下されば幸いです。
藤井りか
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